京都の話である。Lispや非単調論理の業績によ って、Stanford大学のMcCarthy先生が、本年度 における、京セラ(もしくは稲盛財団)の京都賞 を受賞され、先日、京都国際会議場において、 その授与式が行われた。ということは、実は、 以下の話とは全く何の関係もない。 京都には表と裏がある。四条河原町や懐石料理 に代表される京都が表の京都とするならば、一 乗寺と天下一品に代表される京都が裏の京都で ある。 天下一品といっても、関西以外に住む人にとっ ては、何のことだかわからないに違いない。天 下一品とは、京都を発祥の地とするラーメン屋 のチェーン店のことで、京都では「ぎょうざの 王将」と並び称せされるくらいに有名であり、 その天下一品のラーメンこそが、本当の京風ラ ーメンと呼ぶべきものである。俗に京風ラーメ ンと呼ばれているアッサリしたラーメンがある が、あんなものは観光客のための食べ物でしか ない。本当の京風ラーメンとは、店ができた頃 から煮込み続けたとしか思えないような、ギト ギトの油ぎった何が入っているのか見当さえつ かない豚骨スープのラーメンであり、しかも、 チャーシューが鉢一面を麺が見なくなるくらい に覆っていて、その上、ニンニクまで入ってい る、というしろものなのである。もちろん、ラ ーメンだけを食べることは少なく、油ぎった鳥 の空揚げか、少なくとも、ぎょうざを注文して、 ライスと一緒に食べる。 一方、一乗寺は宮本武蔵で有名であるが、要す るに、学生の町であり、一乗寺でなくても、百 万辺でも河原町今出川でも何でもよかった。た だし、一乗寺のことは「おまんこ」で有名にな った上野千鶴子の本にもある。確かに不気味な 町である。明け方近くまで、学生たちや学生の なれのはてがほうこうしている。ひなびた深夜 喫茶には卒論を書いている学生がいる。ラーメ ン屋は夕方から店を始め、明け方まで開いてい る。ちなみに、「天天有」という、これも豚骨 スープのラーメン屋(その味は京都一という人が 多い)が一乗寺にあるが、その店は、夜の八時半 に開店する。 表の京都が京都人による京都とすると、裏の京 都はエイリアンたちによる京都ではないか、と 思う。京都の歴史は長い。ということは、その 長い歴史の中で、数え切れないエイリアンたち が、京都を通り過ぎていったということでもあ る。京都市は、いまだに朝鮮人や部落民の問題 を抱えているが、彼等も、京都の典型的なエイ リアンたちである。そして、京都に多くある大 学に通う学生たちや、学生のなれのはて(大学の 教官も含まれる)も、京都の重要なエイリアンた ちである。エイリアンというよりも、バタリア ンといった方がいいかもしれない。 よく、京都は住みにくいところであるといわれ る。「おちゃづけでも」というのは「もう帰れ」 ということだとか、「ぜひ一度おこしやす」と いうのを真にうけて訪ねたために、後でひどい 目にあった話とか、京都の五条あたりの旧家の 嫁いびりの物語りだとか、京都の住みにくさは 全国にとどろいているようだ。しかし、それは 表の京都の話であり、実は、裏の京都は、エイ リアンにとって、まことに住みよい町なのであ る。 東京では、一年も住めば立派な東京人になれる だろう。しかし、京都に一生住んだとしても、 京都人の末席にも加えられない。いったい、何 代住めば京都人になれるのか、全く見当がつか ないのである。従って、京都ではエイリアンは 一生エイリアンである。ならば、エイリアンと して開き直るしかなくなる。開き直ることほど 楽なことはない。京都人のかざかみにもおけな いようなことでも、自分はエイリアンなのだか ら、と思えば、何の臆することもない。つまり、 京都のエイリアンは、表の京都などを全く無視 して、自由気侭に生きていけるのである。 そして、そのようなエイリアンのパワーこそが、 現代の京都を支えているのではないのか、と思 うのである。 しかし、エイリアンやバタリアンには、秩序と いうものがない。だから、うまくいくと、とて つもないことをしでかすが、大抵は、混沌の中 でうごめいている。 実は、以上のような認識は、京大と東大という、 日本を代表するといわれる二つの大学を比較す るときに、多いに役立つのである。 東大は、どのような分野にせよ、日本を支えて 来たという自負があるから、学生も秀才であろ うとし、教官も秀才を秀才として世に出そうと する。一応、東大を出れば、大抵の学生は、そ れなりの企業などに入り、それなりの仕事をす る。これに対して、無秩序の京大は、天才か馬 鹿の二者択一を迫る。つまり、京大(特に理学部 にその傾向が顕著である)は、一握りの天才(そ のうちの何人かはノーベル賞などを受賞する)を 生み出すための大学であり、一握りの天才たち は、累々とした凡才たちの屍の上に立って世に 出るのである。 京大の無秩序さは、どこかで見たり聞いたりし たような気がするに違いない。そう、阪神であ る。つまり、京大は、国立大学界の阪神だった のである。 京大の無秩序さを表す典型的な例は、入校規制 をしていないために、車で溢れているキャンパ スであろう。何しろ、朝の9時を過ぎると、も う、車が止められなくなってしまう。ああ、何 とかして欲しい(と、つい、個人的なことをいっ てしまった)。 さて、いよいよ、京都南座にも顔見せのまねき がかかり、表の京都も暮れらしくなってきた。 しかし、歌舞伎などというのは、本来は、裏の 文化ではなかったのだろうか。歌舞伎役者が河 原者と呼ばれていた頃は、いまのような世襲も 余りなく、もっとずっと歌舞伎が面白かったの ではないだろうか。考えてみると、歌舞伎の本 当の面白さは、エイリアンやバタリアンの面白 さと通じているという気がする。 エイリアンもバタリアンもPart IIまで見たM生